言葉とか感情って生き物だから。
最近、投資の本を読んでいて、昨日は読んでいないんですけれども。
3000円の投資で10年であーだこーだ。
証券銀行でどこだこれだ。
なんて、序章部、導入部しか読んでいないけども、それが知識を得ると、この時の感情はもう無くなる。
知りすぎちゃったから。
初体験の終了。
今は投資の知識が全くないのに、後々付くんだろうなー。勉強し始めたから。
その、今はいい大人だけど、私は日記を付ける癖があるので。
高校の時の日記を読み返しはしていないけども、その時書く文章はその時のボキャブラリーと環境下の高校だとか何かに時代を所属していた時の表れだから。
今はギターのコードが知ってCDEはドレミの意味だとも分かるけど、知らなかった時は全く分からないし、ギターの指板がどこで何がとかも知っているから。
今投資や経済の本を読んでいるんですが、この感情や書きたい文章も、もうこの時の物なんだろうなー。
なんて思って。
知識を知ることはとてもいい事だけれども。知らない頃の白紙の状態、真っ白なキャンバスってのも懐かしく思えるので。
感情とさよならするのは寂しいもんですよね。
でも、行け入れるし、受け止めるよ。
経験あっての経験論ですから。
好きな哲学は経験ですから。
感情感覚良心虚無が大学時代の座右の銘。
今なら、環境と風土と日常が座右の銘。
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