昨日仕事場で幸福について話し合って

仕事中に、社員の方から、幸福とは?と話をされて。

私が大学の時によく思想に明け暮れた分野なので。話をして。

最初、仕事中包装をしていて、残業代ねこばば、生産性の低いくそ社員が去年までいて、今年の2月に4回しか出勤していないのに、残業時間が8時間と頭がおかしい人がいて、今は異動になったんだけれども。

多分と言うか、その方カルト宗教の方で、一緒にトラックに乗っている時に、経済学部出ているのに、全く経済を知らないバカな人で、経済ついて、マクロ経済とミクロ経済について、昔、熱く語ったことがあって。

そんな事を何度か話していたら。

なんかのはずみで、宗教の話をして。

そうしたら、その人の嫁さんは、結構な宗教家で。

それで、ある時、伺ったら、そうじゃないと言っていたけれども。

過度な残業代をねこばばする背景を見ると、絶対、寄付金だろうなー?という背景が見えてきて。

ちょっと、目にしたことがあって、一年間に寄付をする人は普通に100万なんて当たり前だから。

それが普通なんだから。

多分そうだろうと思って、二人で話していたら。

社員の方と、労働の話をして。

実働に対しての賃労働。

なんだか働くことが嫌になってきますよ。

パン革命(ロシア革命)のことについて話をして。

ブルジョアとプロレタリアートの縮図。

それについて話していたら、幸福の話をされて。

その方は幸福とは何なんだろうかと最近考えている。って言っていて。

16万入れば普通にこの後の人生は過ごせる。みたいな。たくさんお金貰って体壊しても。と。

私も、ちょっとこのバイト期間に幸福を考えてみようと思う。

それで思ったことが、宮沢賢治の人の為の幸福。

私はそれを先ず思いだし、やっぱり人が好きだから、人を眺めているのが何よりも幸福かな。

昨日書いたように、仕事終わりのナタデココやカップラーメンでも幸福だし。

日常の些細なことでも。

大学卒業時の夢が、「毎日歌を歌ってお酒飲めればいいや」とその当時は絶対叶わない夢だったけれども、今ではギターも結構弾けるし、歌が歌えるから、本当に叶った夢だから。それも幸福。

やっぱり、シベリアの大地を見たいとか。

人と出会い、別れの景色を見るとか。

そういったことがしあわせやさいわいかな。

 

そのバイト中に言ったことは。

昨日夏至だったんですよ。

それを知らずに仕事していたなんて。

そんなんで人生をあっという間に終わりにしたくないし。

だから、季節を眺めることが幸福かもしれません。

お金はただの物々交換、等価交換しかないので、この包装紙も、お金なんですよ。

これが1000円として流通しても、お金になってしまう。同じ紙なのですから。

だから、そんなにお金に対しての執着はない。でも、今はお金無いから、バイトしているんですけれどもね。

たくさんあっても困るし、少なくても困る。ちょうどいいのがいい。

お金に振り回される人生はつまらないから。

そう答えて。

その方は、あなた(私)に出会えたことも幸福と答えていた。

 

昨日、大学時代に読んだ哲学書を見たら、思っていた幸福と違っていて。欲望の話。でもそれは、自分が大人に成った証拠。

年を重ねて読むのとは違うなと思った。

そんなこと思っていたら、もう、今日の3時だから寝なくちゃ。

今は仕事の中での幸福は、youtubeでコメント貰って、スパロボAのコメント返しをするのも幸福だし。

そうゆう些細なことが幸福だから。

小さなことでいい。

私の中で季節を見る旅は今したいな。

だからシベリアに行きたい。

 

今回、アルバイトする前に、マルクスエンゲルスの共産党宣言と賃労働と資本を買っておいて、この期間に働いて思ったことを思いながら、バイトが終わったら読んでみよう。

いい偶然だ。

コメント

  1. 熊猫 より:

    僕も幸せについてしばしば考えることがあるんですけど、とりあえず出した結論は「幸せに生きる事」=「幸せに死ぬ事」だと思うんですよ
    そういう意味では、宗教とかにハマるのもアリかも知んないすね…
    ただ、僕はそういう「自分を騙す(っていうと人聞き悪いですけど…)よりも、いろんな価値観を受容した上で、自分の人生を終える時にそれまでの生涯を許容できる生き方をしたいですけど

    • hashiboso より:

      熊猫さま
      コメントありがとうございます。
      色々な人の考え方を聞けるだけで、そういう考えがあるのだと分かってうれしいです。
      大学の時は学生だから、社会に出ると仕事が付いてくるので、嫌な人とも付き合わなければなりません。
      学生の頃に考えた幸福は日々の生活の中での幸せなことを持続させて、そういう人生を歩みたい。と言う考えでした。今もそれは変わらないと思います。
      それが、仕事をすると、「こんな仕事を一生続けると人生が本当に嫌になる」と。会社の為に犠牲にしなくてはならなくなるのもあるけれども、それとは別に好きかどうかで。
      私は写真の仕事をしている時は特に思わなかったのですが、アルバイトをすると、写真の仕事が如何に良かったかが分かります。人の結婚式の撮影はとても楽しいものなんだと。
      実働時間も短いし。人の人生をなれ初めで見られるし。
      今のバイト先で「こんなに楽しい職場はないだろう?」と言われます。でも、私は全く楽しくなくて、みんないい人だけれども、他の仕事をしたことがあるから、写真の仕事は楽しいし、出会うこと無い人と、その日一日だけの関係性みたいな仕事をしてきたので、そうゆう楽しさがあり。普通は大学卒業したら、就職した会社にずっと勤務する感じじゃないですか。それが良い企業ならいいけれども、今のアルバイトの会社の様な所なら、2ヶ月でもめんどくさい。となりますし。
      私は自分のスキルが活かせるものがやっぱりいいです。
      なんでこんな教養のない人に怒られなくちゃいけないんだろうとか、なんでこの人とこの人との言い分の間に挟まって、「こんなことがありました(他の方から言われたこと)」を自分が言って、怒られて、それをその言われた方に言ったら、怒られて。

      幸福を考えることに、社会に出ると、人生と労働がセットになってくるので。
      ニャルコを見ていて、まひろさんに「プレゼントは(婚姻届)私の人生をすべてをあなたに捧げます」ととても好きな台詞なのですが、これが合わない人や会社なら本当に大変だから、会社なんて、入ってみないと分からないから。
      労働とは?と考えます。
      私はお金はそんなにないのですが、幸福な人生を歩んでこれたと思います。