私のよく使っていたカメラと露出計です。
カメラはブローニーフイルムの6センチ×7センチフォーマットのマミヤ7でセコニックの露出計は型番は忘れてしまいました。
6センチフイルムは被写界深度が深いので好きです。
フイルムは自分はプレスト400を感度100で撮って減感現像をするのが好きでしたが、使っている時に発売されなくなったので、それからはアクロス100を感度50の減感現像ですかね。
現像液はミクロファイン(超微粒子現像だっけ?)が好きでした。
忘れちゃったけれども、ミクロファイン:水が2:1の割合で割っていました。
ばら板は昔はオリエンタルが好きだったけれども、売らなくなたので、イルフォードに変わり、また手に入らなくなり、最後プリントしていた時はフジのばら板です。
私は大学時代3年の時に、よく高校生を撮っていて、大人とこどもの境みたいなものがよく分からないから、体は大人に成って心は子供みたいな、その変わる様な。そんな一瞬を写真にしていると面白いし、文章ではなくて、写真の媒体の良さがその青春な感じを映し出せるような、これから大人に成る不安な感じとか、そんなものを撮りたくて、確か38人ぐらい撮ったような気がする。
これはばら板のプリントの感じなのですが、複写なので次から縁が切れています。
この女の子の写真は賞を取ったことのある写真です。
その時は、みんな住所を聞いて、写真を送って、また20才、30才と撮れば面白いんじゃないのかな?って思っていたんだけれども、そのまま大学3年4年の時しか撮っていなくって。
ここで撮った人は、みんな町で出会った方。「この人写真撮ったらいいだろうなー」とかって、声を掛けて。
でも、かなり、写真の撮り方がうまくなったのと、やっぱり人が好きなので。
ここから、人と人との心の距離。
君と僕との心の距離と言う感じです。
そんな空気感が写真に表れれば、いいなって。
私は芸術的なものは撮れないけれども、世界平和みたいなことに貢献できれば、そんな写真が撮れたらいいなとか思って写真を撮っていたんですね。
最近は撮っていないですけれども。
人の色だったり、人の温度が写真に残せれば、いい写真が撮れたかなって。
人と人との心の距離。
撮る側に心を開いてくれたり、委ねてくれたら、良い表情を撮るようにしているから。
それが自分の写真の空気感なんですよね。
最近は写真撮っていないから。
人が笑顔になってくれれば、私はそれだけで、幸せなことです。
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